通信制大学院国際社会開発研究科修士課程 開発基礎論V

  開発基礎論V
 
 これは開発基礎論Vの授業の様子をお伝えするために、2002年度の同科目掲示板に投稿された
 約200の書き込みの一部を抜粋したものです。冗長さを防ぎ、また参加院生の個人情報保護の目的
 から、内容に修正・編集の手を加えてあります。(穂坂光彦)

   このページは以下にまとめてあります見出しごとに、ご覧ください。
 
 
| [議論の進め方] | [開発教育] | [人間開発] | [ヨソモノの役割] | [児童労働と買春] | [ガンディーの思想] | [ジェンダー分析] |
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   No.1 (2002/05/01 08:51)  みなさん、はじめまして
   Name: 穂坂光彦
 
  みなさん、はじめまして。開発基礎論Vの教室へようこそ。
この科目は雨森さんと私の二人で共同運営します。履修者は、いまのところ21名です。
大きな円卓を囲んで、隅の方に私、対角線のところに雨森さんがいるのを想像して下さい。
まず、教科書が手元に到着していない人は教えて下さい。
緊急措置として、章に分けてメールでお送りしようと思います。

この科目の目的も、進め方も、教科書の「はじめに」に書いてあります。
そこをまずお読み下さい。私の自己紹介も末尾でしています。
運営の仕方については、みなさんの意見やアイデアを取り入れながら決めていきたいと思います。
昨日の「教務主任から」のメッセージは見ていただいていますね。
できるだけ、みなさん同士で討論してほしいと思っています。
ともかく発言しないと単位取得ができない、ということはありますが、あまり権力的な評価の目を気にせず、
自由率直に語らって下さい。

ここで議論するのは、必ずしも開発教育の教材づくりということでなくて構いません。
国際社会開発の諸領域をいちおう眺め渡し(そのなかには個々に全く関心のない領域もあるでしょう。
また私の編集の重大な落丁もあるでしょう)、そこでの自分の見方を確かめ(疑い)、
修論へ向けて問題関心を絞っていくのが、主たる目的です。
しかし、雨森さんもいらっしゃることですし、開発教育現場での工夫や難しさなども、
ぜひ話題にしていきたく思います。

最初ですから、まず自己紹介がてら、この科目に参加することで何を期待するか、
expectationを述べ合ってはいかがでしょうか。
ほとんどの方は、他の科目で何度も自己紹介をやるでしょうから、ここではご自分そのものについては
簡単で結構です(もちろん長いのも歓迎します)。
雨森さんも、どうか適当に入って下さい。

一巡したら、その後は1−2週間ずつに区切って、教科書の第I部からVII部まで順に扱い
(つまり例えば5月の第2週はI部、3−4週はII部を対象に)関連領域での
みなさんの経験や省察、
教科書へのヒハンなどを議論していく、ということではどうかと思っています。
このような進め方についても、最初のところでコメントして下さい。

では、どなたからでもどうぞ、始めて下さい。あなたのexpectationとクラス運営へのアイデアを(if any)。
 
議論の進め方   No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
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   No.26 (2002/05/19 23:55)  ぼつぼつ始めましょうか
   Name: 穂坂光彦
 
 
みなさん、こんにちは。
まだ自己紹介が済んでない方も、通信事情が悪く履修が確定していない方もありますが、
ぼつぼつ授業に入りましょう。遅れている方々には、できるだけ私から個別にコンタクトして、
catch upしてもらうようにします。


1. 「開発基礎論III」の教科書は便宜的に7部に分かれています。
これから、原則として1週間に1部ずつ対象にしていきたいと思います。
細かい読解にはこだわりません。自分の考えを述べあうのが目的ですが、感覚的な言葉の遊びを
避けるため、教科書が提起している議論の枠組みを一応念頭に置いてほしいと思います。


2. 一度発言して終わり、でなく、できるだけコメントに対して再コメントする形で、
相互の対話を進めてください。
それには毎週の議論参加は、ややハードに過ぎるでしょうから、
「1週間おきに討論参加」を義務としましょう。


3. で、次のような予定プログラムとなります。
   5/19の週 第I部
   5/26の週 第II部
   6/02の週 第III部
   6/09の週 第IV部
   6/16の週 第V部
   6/23の週 第VI部
   6/30の週 第VII部
   7/07の週 (予備週)期末レポートを出題します


4. 討論facilitatorを募集します。
ボランティアしてください。週ごとに交代するのがよいでしょう。
つまり7名の方が必要です。自分の得意テーマもあるでしょうから、早い者勝ちで名乗り出てください。
Facilitatorの任務は、1週間の討論の始めと終わりを宣言すること
(最初の問題提起は、雨森さんないし私がやります)、
議論が沈滞したときに整理ないし新たな問題提起をすること、
必要に応じて積極的に発言を引き出すこと(指名しても構いません)、
紛糾したときに調整すること
(ただしシリアスな事態を収めるのは、雨森さんと私の責任です)、などでしょう。


5. 第I部の討論テーマとして、以下を提案します。
最初の4章で考えたいことの一つは、国際開発と開発教育との回路、
あるいは「南」と「北」に通底する視点の獲得です。これを考えるにあたって、
「はじめに」では、banking approachとproblem-posing approachを対比しています。
前者は既存の知識の詰め込み、後者は自己発見的教育を意味します。
そりゃ後者が正しい、ように「はじめに」も前提にしていますが、
実はこれはよく考えるに値することです。
演繹的(deductive)、帰納的(inductive)という論理学上の言葉があります。
まず基礎的な枠組みが演繹的に与えられていないと、帰納的思考に必要な分析すらできない、
ということはあるでしょう。
みなさんの多くも、国際社会開発の基礎的な知識や分析枠組みをまず身につけたい、
と考えて入学されたのではないでしょうか。
開発教育の現場で、方法的にproblem-posingでありながら、全体として導いていくべき結論は
予め定まっている、ということがありうるでしょう。
私も開発現場で、答えは予め決まっていないのだから絶えず新たな道を見いだす
inductiveな努力が必要、と思いつつ、なかなか一筋縄でいかないことを感じています。
みなさんの開発や開発教育の現場、あるいはそれぞれがこれまで受けてきた教育や見聞を振り返って、
帰納的な自己発見アプローチがどう有効であったか、限界はなかったか、
無意識的に採っていたアプローチはどういうものであったか、
理論と経験はどう関係していたか、といったようなことについて、意見交換してはどうでしょうか。
(フレイレのbanking approachと演繹的思考は同一視できない、という議論もあり得るでしょう)


6. では、活発な意見、facilitatorボラをお待ちします。
 
議論の進め方   No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
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   No.39 (2002/05/22 19:10)  帰納と演繹について
   Name: 穂坂光彦
 
  はじめの私の問題提起で、フレイレのいうbanking(教師から生徒への一方的な知識の詰め込み)と
problem-posing(投げかけられた問題に対して自ら答えようとする主体を形成)、
それと演繹・帰納とを、安易に結びつけすぎたかな、とやはり思いました。提起の仕方が雑でしたね。

ご承知のように「演繹」は、予め前提された「真理」から出発して個別ケースを導きます。
人は死すべきものである(大前提)→ところでソクラテスは人である(小前提)→ゆえにソクラテスは
死すべきものである(結論)、という三段論法は、その典型です。
逆に、身の回りの人がみないつかは死んでいくのを見て、「人は死すべきものである」と推論するのが帰納です。

私たちは、たえずこの両方向の論理を駆使しながら思考しているはずです。
しかし伝統的な社会科学の作法によれば、社会調査の結果を帰納的に結論づけることはダメ、とされています。
これは「開発基礎論I」の領域なのですが、適当に調査をしてみてその結果をあれこれいじくって
だんだん出てきたような結論は、自分の仮説構築のためのひとつのステップとしてはありうるのですが、
そのこと自体はなにも「証らか」にしたことにはならない。一定の前提から演繹的に導かれる作業仮説を
社会調査によって「検証」してこそ、「社会調査に基づく科学的論文」とされています。

さてここからは私の「イデオロギー」ですが、私は調査研究は上のような意味で、基本的に演繹的であり、
一方、開発・開発教育の現場では問題解決への一般解は存在していない、ということのゆえに、
基本的に帰納的であらざるをえない、と考えています。
すると後者で必要なのは、自分で答えを見出そうとする主体そのものを各現場で生み出すこと、
それを支える環境を整えること、ということになるでしょう。
そのような主体形成にヨリ有効なpedagogy(教育的方法論)は、bankingよりもproblem-posingなのではないか
(フレイレの本の題名はPedagogy of the oppressed です)、と考えるわけなのです。
 
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   No.179 (2002/07/23 12:35)  No.176
   Name: 穂坂光彦
 
  176のBさん こんにちは。
戦後沖縄での保健医療開発について、盲点を衝かれる感じで興味深く読みました。
ただ、こうした貴重な情報が、あなたが探索された資料によるのか、
沖縄での現地聞き取りの結果なのか、といった点を、もう少し分かりやすくして下さい。
もちろん、調査途上の場合、ソースを明らかにしにくかったり、明らかにすべきでない、という
可能性もあるでしょう。それを識別しながらも、できるだけ論拠を明らかにしてほしいと思います。

これは、この講義はもうすぐ終わりになりますが、今後他の科目で議論される際にも、
みなさん全員に留意していただきたいことです。
講義室での投稿は、情報交換以上に、ある種のtrainingですから、「何が真実か」ということとともに、
「どうしてそれを真実と主張できるのか」を、分析的に書くよう努力して下さい。

以上は、原則論です。
ときには、「こんなことを耳にしたけど」というお喋りがあっても、もちろんかまいません。
が、Bさんの投稿は、真実を伝えたい、という意欲にあふれていたので、むしろ表現方法に注文しました。
 
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   No.183 (2002/08/15 17:30)  No.179 の穂坂先生へ
   Name: B
 
  176の穂坂先生へ こんにちは。
戦後沖縄の保健医療開発についての報告は、よそ者効果について述べた点は
7月中旬に沖縄にて調査研究のまとめ役をされている琉球大学医学部保健医学講座の小川寿美子さん、
琉球中央保健所長 比嘉政昭さん、沖縄県立看護大学教授で元公衆衛生看護婦の仲里幸子さん、
元医介輔の親盛長明さんのお話を元に書いております。
米軍統治下の琉球政府の公衆衛生活動については
JICA国際総合研修所発行の「沖縄の地域保健医療における開発経験と途上国への適用」に記載があります。
ODAとNGOの項で書いた「寄生虫予防会」、「沖縄療友会(結核から回復した元患者の会)」や
「子宮ガン集団検診」についての記述は比嘉先生から聞き取りし、私なりの意見でまとめたものです。
日本からの援助については比嘉先生の記憶からのコメントであり、数字的な確証を得たものではありません。
論拠不明確なまま記載し、申し訳ありませんでした。

なお、研究の詳細は下記HP「沖縄の保健人材確保の経験と国際協力の実用化に関する社会医学的研究」に
ありますので、ご参照ください。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~socmedok/
 
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   No.184 (2002/08/16 10:13)  No.183 のBさんへ
   Name: 穂坂光彦
 
  Clarificationをありがとうございました。
ひとつだけ、念のため。
私は「論拠不明確なまま記載するな」と言っているのではありません。
むしろ逆に、伝聞でも直感でも、そこから有益な洞察が得られたら、どんどんここに書いて、
他からのコメントを得てほしいのですが、
その際に、「現段階での」情報の信頼性がどの程度のものであるのか、も
自他ともに明瞭にしておくよう努めて下さい、ということです。
 
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