通信制大学院国際社会開発研究科修士課程 開発基礎論V

  開発基礎論V
 
 これは開発基礎論Vの授業の様子をお伝えするために、2002年度の同科目掲示板に投稿された
 約200の書き込みの一部を抜粋したものです。冗長さを防ぎ、また参加院生の個人情報保護の目的
 から、内容に修正・編集の手を加えてあります。(穂坂光彦)
 
   このページは以下にまとめてあります見出しごとに、ご覧ください。
 
 
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   No.160 (2002/07/10 13:30)  ガンジーの思想について
   Name: O
 
  まったく前後との脈絡がありませんが、ガンジーの思想について少し調べました。
テキストp.17の「ガンジーと糸車」に興味を持ち、
「ガンジー 自立の思想」(ガンジー著 田畑健編 片山佳代子訳、地湧社)を読みました。
本書を読んで、インドの国旗にも描かれているチャルカ(糸紡ぎ車)とカディ(手織り綿布)の
運動について、もう少し知ることができました。

産業革命の進んだイギリスでは、不足している綿の入手先と、
大量にできてしまう繊維製品のための供給先を海外に求め、それがアメリカ南部の奴隷や、
インドの地場繊維産業の崩壊という悲劇を生みました。
それに対してガンジーのチャルカとカディ運動では、自分の必要以上には綿糸を生産しないチャルカと、
それによって織られるカディを身に付けることで、イギリスの繊維製品を利用しないようにする、と
いうものでした。それは、チャルカとカディを例えにした、イギリスの押し付ける近代文明に対する抵抗でした。

近代文明は、自分の必要以上の物を生み出し、余剰生産物の処分先を探します。
そこには、今まで同じようなものを作っていた地元の人や、同じような考えをもつ他国のものがいて
競争が起こります。競争により、文明はより進歩していくが、副産物として、
より多くの憎しみや苦しみをも生み出します。
近代文明は、少数の人を怠け者にし、多数の人をより働かなければならないようにします。
ガンジーの求めたものは、すべての人が、必要な分だけ生産して生きていけば貧富の差がなくなるだろう、と
いうことだと私は考えます。国旗に描かれているくらいだから、ガンジーのチャルカ運動は成功したのか?
と思いがちですが、その運動は困難を極めたとのことです。
チャルカはほとんど存在しておらず、技術も失われつつありました。
また、多くの人がガンジーの考えには賛同してくれませんでした。

ガンジーの思想は今の世の中では成り立たない、という人がいるかもしれません。
確かに今日から変えるというのは困難なことでしょう。
しかし、豊かさを追求するあまり、貧富の差を拡大し、地球環境を破壊している現在、少しづつ近づけるよう
努力していく必要があるのではないか、と感じました。
 
ガンディーの思想  No.160No.163
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   No.163 (2002/07/12 11:06)  どうぞ続けて下さい
   Name: 穂坂光彦
 
  今週はみなさん同士で意見交換していただきたく思いますが、何点かコメントします。


No.141 Qさんへ:
来年のテキストから「行商人」をやめて「盲僧」にしようか、と思いました。
既定の「プロジェクト」を念頭に置いて地域にやってくる援助専門家ではなく、
言葉の端々から問わず語りに情報を伝えて結果的に相手の主体性を引き出す<行商人>を、
ひとつの<開発ワーカー>のモデルと考えていたわけです。
でも、聞き手の反応によって語りの内容そのものが変わって、それがまた他の土地に伝えられていく、と
いうメタファーの方が、より正確に「プロセスアプローチ」の本質を突いていると思います。
そのようにして人々の中に紡ぎ出されていくものが<開発>であると、私は考えています。
それがこの開発基礎論IIIの私のいわば結論のひとつです。
もちろん、みなさんそれぞれの結論があってよいのですが。

No.160 Oさんへ:
テキストでこのガンディーの話を書いているとき、ちょうど私は大学所在地の町にある中学で
総合学習の講師を頼まれていました。
その中学三年生は、世界の国旗のデザインと国の歴史とを調べてきて、
その最後に私を招いて下さったのです。
私は「開発教育」の素材として、このガンディーの話を使おうと思いました。
最初に大きなインドの国旗を拡げ、その三色の意味と、中心の図柄について質問しました。
それから、非暴力闘争からガンディー暗殺までのビデオを見せました。
そしてガンディーがチャルカに込めていた反「近代主義」的な社会像とはどういうものだったろうか、の
講義をしました。長島さんが指摘されたような現代的意味を、中学生も感じ取ったように思います。
開発基礎論IIIは一応「開発教育」のクラスですので、ご参考までに記しました。

No.162 Cさんへ:
Cさん「でも「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことをある意味「開発」と
捉えることにしました。(勝手な解釈ですけど)」。
「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことは、私は、対人援助とか海外援助とか
言われる場合の「援助」の範疇にあると考えています。
「子供達<が>その置かれている状況をいい方向に持っていく」こと、あるいは子ども達が
そうできるための環境条件をつくりだすこと、が、開発教育とか社会開発とか言う場合の「開発」に
あたるでしょう。(勝手な解釈ですけど)。
 
ガンディーの思想  No.160No.163
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