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このくらい正面からソーシャルキャピタル(SC)を扱うのであれば、やはり、そもそもSCとはなんぞや、
という議論を踏まえておく必要がありますね。
「開発基礎論III」22章にある文献くらいは目を通して(だいたい美浜の図書館にあります)、
どういうことがこの世界で問題にされてきたかは、レビューした方がいいでしょう。
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2. |
それを踏まえないと、肝心のソーシャルセーフティネット(SN)との関連が、よく分からないことに
なります。
あなたは「SNは定義上、行政が整備するもので、それができないところでは代替的にSCを活かす」と
いっているのか、それとも「SCがあれば、貧困層自身のSNが整備できる」といっているのか、
いまのところ不明です。
あるいは、「SNが財政的にムリだからやむなくSCに頼る」と言っているのか、
それとも「SNでは依存型の福祉なので「自立のため」にはSCこそ大切」と言っているのか・・・。
SCとSNに、あなた自身の定義を与えていかなくてはなりません。
ついでに細かいことを言えば、「貧困者」と「社会的弱者」はどういう区別なのか、
「潜在能力」とは(Galtung的な意味か、Sen的な意味か−「開発基礎論III」p.172の注(11)を参照)、
「ソーシャルキャピタル」と「地域の力」とは同じなのか、など気になります。
もちろんこれらは、今回の限られた紙数で書かれたことへのケチつけに近いので、これからゆっくりと
説明していって下さい。
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3. |
ほんとうは、そうした概念分析の上で、それとの関連で、なぜインドネシア(とくにジョクジャ)を
とりあげるのか」を説明すべきでなのす。いずれにしても、この調査対象地選択の説明は(たとえ、
ジョクジャには知ってる人がいて調査がやりやすい・・・といったことでも正直に)どこかでまず必要です。
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4. |
第1章から第3章への流れは、インドネシア政府は貧しいのでSNはムリ→住民同士が相互扶助で
支えあう必要があるし、その力もある→ただし地方政府による支援が必要、ということのように読めます。
とりあえずは、それならそれで悪くはないが、自分で全体のストーリーをたえず明確に意識するように
して下さい。
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5. |
上の様なストーリーとすると、ここには幾つかの重大な必ずしも自明とは言えない前提が隠されています。
(1) SCはSNの機能を代替できる(すべての側面について?どの程度に?)
(2) ジョクジャには(潜在的にせよ?)SCが存在する
(3) インフォーマルセクターの人々は一様にSCを利用して「自立」(どういう意味で?)を図っている
(4) SCは外からの働きかけによって増やすことができるものである
(5)地方政府はそのような働きかけができる立場にある。
これらのすべてについて、もしくは、たとえ一つに絞って他を括弧に入れてでも、きちんと考察しておくべき です。
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6. |
「日本とのパートナーシップ」が突然第3章3節にくるのは、やや飛躍の感じがあります。
もしご自身の日頃のお仕事からの「感慨」があるのなら、「おわりに」章で、さらっと触れる程度がよい。
論文としてここで言うべきことがあるとしたら、いきなり「援助」論ではなく、他の類似ケースとの比較でしょう。
たとえばタイのUCDO/CODIの97年後の動きなどは、とてもrelevantのような気がします。
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7. |
なお、「むすび」の章は、もっとはっきりと「第4章 結論」として、全体のまとめ、要するに何が言えたのか、
諸概念の関係をストーリーとして明確にしておき、さらに今後への研究課題や展望を述べるべきです。
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8. |
「論文計画」としては、各節ごとに大まかな執筆枚数を記して、重点配分が分かるようにし、既存の論文や
データや図表や参考文献がどの部分にどう使われるか、各節との対応付けを示しておくとよいでしょう。
また節の1段下の小見出しのレベルまでつくって、数行ずつその要旨を記して下さい。
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