通信制大学院国際社会開発研究科修士課程 開発基礎論V

  開発基礎論V
 
 これは開発基礎論Vの授業の様子をお伝えするために、2002年度の同科目掲示板に投稿された
 約200の書き込みの一部を抜粋したものです。掲載について参加院生の承諾を得ていますが、
 冗長さを防ぎ、また発言者の個人情報保護の目的から、内容に修正・編集の手を加えてあります。
 (穂坂光彦)
 
 下の見出しをクリックすると見出しごとのページへ移動します。


 
   議論の進め方
No.1 No.26 No.39 No.179 No.183 No.184
 
   開発教育
No.2 No.29 No.30 No.38 No.41   
               
            No.43 No.46    
 
   人間開発
No.100 No.101 No.107         
               
No.111                    
 
   ヨソモノの役割
No.141 No.176 No.179         
               
No.163  期末レポート
 
   児童労働と買春
No.158 No.162 No.163         
 
   ガンディーの思想
No.160 No.163            
 
   ジェンダー分析
No.164 No.167            

     

 
   No.1 (2002/05/01 08:51)  みなさん、はじめまして
   Name: 穂坂光彦
 
  みなさん、はじめまして。開発基礎論Vの教室へようこそ。
この科目は雨森さんと私の二人で共同運営します。履修者は、いまのところ21名です。
大きな円卓を囲んで、隅の方に私、対角線のところに雨森さんがいるのを想像して下さい。
まず、教科書が手元に到着していない人は教えて下さい。
緊急措置として、章に分けてメールでお送りしようと思います。

この科目の目的も、進め方も、教科書の「はじめに」に書いてあります。
そこをまずお読み下さい。私の自己紹介も末尾でしています。
運営の仕方については、みなさんの意見やアイデアを取り入れながら決めていきたいと思います。
昨日の「教務主任から」のメッセージは見ていただいていますね。
できるだけ、みなさん同士で討論してほしいと思っています。
ともかく発言しないと単位取得ができない、ということはありますが、あまり権力的な評価の目を気にせず、
自由率直に語らって下さい。

ここで議論するのは、必ずしも開発教育の教材づくりということでなくて構いません。
国際社会開発の諸領域をいちおう眺め渡し(そのなかには個々に全く関心のない領域もあるでしょう。
また私の編集の重大な落丁もあるでしょう)、そこでの自分の見方を確かめ(疑い)、
修論へ向けて問題関心を絞っていくのが、主たる目的です。
しかし、雨森さんもいらっしゃることですし、開発教育現場での工夫や難しさなども、
ぜひ話題にしていきたく思います。

最初ですから、まず自己紹介がてら、この科目に参加することで何を期待するか、
expectationを述べ合ってはいかがでしょうか。
ほとんどの方は、他の科目で何度も自己紹介をやるでしょうから、ここではご自分そのものについては
簡単で結構です(もちろん長いのも歓迎します)。
雨森さんも、どうか適当に入って下さい。

一巡したら、その後は1−2週間ずつに区切って、教科書の第I部からVII部まで順に扱い
(つまり例えば5月の第2週はI部、3−4週はII部を対象に)関連領域での
みなさんの経験や省察、
教科書へのヒハンなどを議論していく、ということではどうかと思っています。
このような進め方についても、最初のところでコメントして下さい。

では、どなたからでもどうぞ、始めて下さい。あなたのexpectationとクラス運営へのアイデアを(if any)。
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
▲ このページのトップへ

     

 
   No.2 (2002/05/01 22:29)  期待と不安
   Name: P
 
  はじめまして。Pと申します。穂坂先生の座っていらっしゃる円卓に、一番乗りします。
開発援助NGOで非専従の事務局長をしています。
本業は高校教師です。英語の教師ですが、今年はおもいっきり開発教育やっています。
あれもこれもとりたくて間に合いそうもないので、最初はこの科目はとらないつもりでいたのですが、
テキストを読み始めてみたら、その面白いこと・・・。
好きな分野の、好きなことがとてもまとまっていて、読んでいるだけでウキウキしています。
高校生への授業に直接反映させながら、勉強を続けられそうです。よろしくお願いします。
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.26 (2002/05/19 23:55)  ぼつぼつ始めましょうか
   Name: 穂坂光彦
 
 
みなさん、こんにちは。
まだ自己紹介が済んでない方も、通信事情が悪く履修が確定していない方もありますが、
ぼつぼつ授業に入りましょう。遅れている方々には、できるだけ私から個別にコンタクトして、
catch upしてもらうようにします。


1. 「開発基礎論III」の教科書は便宜的に7部に分かれています。
これから、原則として1週間に1部ずつ対象にしていきたいと思います。
細かい読解にはこだわりません。自分の考えを述べあうのが目的ですが、感覚的な言葉の遊びを
避けるため、教科書が提起している議論の枠組みを一応念頭に置いてほしいと思います。


2. 一度発言して終わり、でなく、できるだけコメントに対して再コメントする形で、
相互の対話を進めてください。
それには毎週の議論参加は、ややハードに過ぎるでしょうから、
「1週間おきに討論参加」を義務としましょう。


3. で、次のような予定プログラムとなります。
   5/19の週 第I部
   5/26の週 第II部
   6/02の週 第III部
   6/09の週 第IV部
   6/16の週 第V部
   6/23の週 第VI部
   6/30の週 第VII部
   7/07の週 (予備週)期末レポートを出題します


4. 討論facilitatorを募集します。
ボランティアしてください。週ごとに交代するのがよいでしょう。
つまり7名の方が必要です。自分の得意テーマもあるでしょうから、早い者勝ちで名乗り出てください。
Facilitatorの任務は、1週間の討論の始めと終わりを宣言すること
(最初の問題提起は、雨森さんないし私がやります)、
議論が沈滞したときに整理ないし新たな問題提起をすること、
必要に応じて積極的に発言を引き出すこと(指名しても構いません)、
紛糾したときに調整すること
(ただしシリアスな事態を収めるのは、雨森さんと私の責任です)、などでしょう。


5. 第I部の討論テーマとして、以下を提案します。
最初の4章で考えたいことの一つは、国際開発と開発教育との回路、
あるいは「南」と「北」に通底する視点の獲得です。これを考えるにあたって、
「はじめに」では、banking approachとproblem-posing approachを対比しています。
前者は既存の知識の詰め込み、後者は自己発見的教育を意味します。
そりゃ後者が正しい、ように「はじめに」も前提にしていますが、
実はこれはよく考えるに値することです。
演繹的(deductive)、帰納的(inductive)という論理学上の言葉があります。
まず基礎的な枠組みが演繹的に与えられていないと、帰納的思考に必要な分析すらできない、
ということはあるでしょう。
みなさんの多くも、国際社会開発の基礎的な知識や分析枠組みをまず身につけたい、
と考えて入学されたのではないでしょうか。
開発教育の現場で、方法的にproblem-posingでありながら、全体として導いていくべき結論は
予め定まっている、ということがありうるでしょう。
私も開発現場で、答えは予め決まっていないのだから絶えず新たな道を見いだす
inductiveな努力が必要、と思いつつ、なかなか一筋縄でいかないことを感じています。
みなさんの開発や開発教育の現場、あるいはそれぞれがこれまで受けてきた教育や見聞を振り返って、
帰納的な自己発見アプローチがどう有効であったか、限界はなかったか、
無意識的に採っていたアプローチはどういうものであったか、
理論と経験はどう関係していたか、といったようなことについて、意見交換してはどうでしょうか。
(フレイレのbanking approachと演繹的思考は同一視できない、という議論もあり得るでしょう)


6. では、活発な意見、facilitatorボラをお待ちします。
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
▲ このページのトップへ

     

 
   No.29 (2002/05/21 00:51)  発言1
   Name: P
 
  しまった、今週いっぱいの面倒な仕事を抱えてるんだった・・・と思い出しても後のまつり、
今週のまぬけなボランティア、Pです。よろしくお願いします。

僕は高校の現役教員でもありますので、とっかかりに自分の授業の話をします。
貧困と飢餓の問題について簡単に扱った次の時間、「きょうはおみやげがある」と言って飴を取り出します。
そして、いかにも適当な感じで、たとえば4人の生徒をまず呼び、ひとりあたり14個づつあげます。
この日だけはおみやげなのでその場で食べていい、と言って喜ばせ、次の8人に、ひとり3個づつ。
そして残りの人、18人に並んでもらったところで袋をのぞいて、あれ、配り間違えた、
あと10個しかなくなっちゃった。ごめん、これみんなで分けて。
そして、前回の続きの開始です。

お分かりのとおり、これはテキストにもあるハンガーバンケットの簡易版です。
が、一切関係なさそうにやるところがみそです。当然もらえなくて怒り出す生徒もいますので、
それには謝ります。そして、たくさんもらった人、分けてあげて、と言っておきます。

その日の教材は、世界の食料の偏在について、というようなもの。
僕は英語の教師なので、読解が主になります。そのうちに気づく生徒が出てきます。
そういう生徒には目配せをして、そっと説明をしてあげます。あくまでも全体には言いません。
そうすると、気づいた生徒はうれしくて、その秘密がだんだんと広がっていきます。

その時間の最後にようやく種明かし。1個ももらえなかった人に手を挙げてもらい、
きみたちは飢えで死んでいたかもしれないね、1個だけの生徒は飢えで苦しんでいるんだね、と言います。
そして最後に、ひとりあたり3個あったことを説明、14個もらった生徒がいくつ分けてあげたかを聞きます。
普通は半分がいいところです。

なかなか気づきの授業として面白いと思っているのですが、これにはオチがあります。
ある開発教育関係の研修でこれを紹介したところ、中学3年生の次男の学校の先生が授業でやったのです。
受けてきた次男は、出所が僕だとは知らずに、なにをしたか説明してくれてから、こう言いました。
「こういう授業っていやなんだよな。こんな風にすれば分かってくれるかなって先生がわくわくしてる感じが、
はめられたみたいですごくいやだ。」学校教育の限界かな、と思った瞬間でした。

では、みなさんご発言お願いします。
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.30 (2002/05/21 12:38)  開発教育について
   Name: O
 
  ハンガーバンケットについては、知らなかったので興味深く思いました。
一方で、ゲームの終わりにわかるのは、世界には貧富の差がある、と言うことです。
ここで終わってしまったら、「貧しい人はかわいそうだから、何かをあげる」という子供達を
増やす結果になるのではないでしょうか?

テキストでは、学生が「開発」と「援助」の区別せずにいる、と言う例が示されています。
また、このような「貧しい人を助けてあげる」のが開発と考える現象を「してあげる」シンドロームと呼んでいます。
少なくとも、この大学院に入った人で、「してあげる」だけで援助できる、と考えている人はいないと思います。

「開発」教育と銘打っているからには、「援助」ではなく「開発」を教えることができる教材作りを
していかなければならないと思います。何かを「してあげる」だけでは、貧富の差を無くすことは難しい、と
いうことを教えるゲームも作られるべきではないでしょうか?
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.38 (2002/05/22 19:10)  してあげるシンドローム
   Name: 穂坂光彦
 
  みなさんの意見を聞きながら、私のテキストの書き方が曖昧だったと思う点があったので、口を挟みます。
「してあげるシンドローム」はテキストにあるとおり、斎藤千宏さんの造語です。

「してあげる」を口にする学生の問題の第1は、「してあげる」の持つある種の「愛他性」が
現実の「援助」につながっている、と錯覚していることです。
だからインドのストリートチルドレンの写真に衝撃を受けて「なんとかしたい」と「開発」を志す、
そのことがとりもなおさず「援助」について学ぶことになってしまいます。
国同士で外交戦略として行われる「援助」を、そのような目で分析することは、まずできないでしょう。
Pさんの生徒たちの中には、自分よりも不運な友人に同情して思わず飴玉を分けてしまった、と
いう人もいるでしょう。
分けないといけないんじゃないかと無言の圧力を感じたり、
適当に分けておかないと教室の中が険悪になってかえって厄介だと洞察したり、
やっかみや復讐をおそれたり、個別の友情が崩壊するのを防ごう、と考えた生徒もいるでしょう。
グローバルなゲームの中での各国の戦略を分析する冷徹な目で「援助」を学ぶ方が、
はるかに有益なはずなのですが、それ以前に、「してあげる」の心をもった人たちが行うのが援助、と
思いこんだところで止まってしまう先入観、これが私たちが教育現場で立ち会う問題の第1です。

しかし人間には、自己の福祉向上のみでなく、他者の向上をも願い
そのように行動する「エージェンシーの自由」(テキストp.167)も存在します。
そのような人間の主体性を、恣意的な同情としてでなく、行為責任を支えるものとして
成り立たせるには何が必要か。
インドのストリートチルドレンの状況を歪みのない社会的パースペクティブの中で理解し、
その中で自分自身の立場を位置づけ、自他の関係の変化を展望するような学び方、でしょう。
そのような点にこそ、私たちは、「開発」を学ぶことと、開発教育的実践との深いつながりを感じています。
これは実は「学生たち」の問題ではなく、私たち一人一人の問題に他なりません。
「してあげる」シンドロームの第2の問題は、そこには「変わるのは私たち」の視点が
最初から遮断されているように思えることです。
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.39 (2002/05/22 19:10)  帰納と演繹について
   Name: 穂坂光彦
 
  はじめの私の問題提起で、フレイレのいうbanking(教師から生徒への一方的な知識の詰め込み)と
problem-posing(投げかけられた問題に対して自ら答えようとする主体を形成)、
それと演繹・帰納とを、安易に結びつけすぎたかな、とやはり思いました。提起の仕方が雑でしたね。

ご承知のように「演繹」は、予め前提された「真理」から出発して個別ケースを導きます。
人は死すべきものである(大前提)→ところでソクラテスは人である(小前提)→ゆえにソクラテスは
死すべきものである(結論)、という三段論法は、その典型です。
逆に、身の回りの人がみないつかは死んでいくのを見て、「人は死すべきものである」と推論するのが帰納です。

私たちは、たえずこの両方向の論理を駆使しながら思考しているはずです。
しかし伝統的な社会科学の作法によれば、社会調査の結果を帰納的に結論づけることはダメ、とされています。
これは「開発基礎論I」の領域なのですが、適当に調査をしてみてその結果をあれこれいじくって
だんだん出てきたような結論は、自分の仮説構築のためのひとつのステップとしてはありうるのですが、
そのこと自体はなにも「証らか」にしたことにはならない。一定の前提から演繹的に導かれる作業仮説を
社会調査によって「検証」してこそ、「社会調査に基づく科学的論文」とされています。

さてここからは私の「イデオロギー」ですが、私は調査研究は上のような意味で、基本的に演繹的であり、
一方、開発・開発教育の現場では問題解決への一般解は存在していない、ということのゆえに、
基本的に帰納的であらざるをえない、と考えています。
すると後者で必要なのは、自分で答えを見出そうとする主体そのものを各現場で生み出すこと、
それを支える環境を整えること、ということになるでしょう。
そのような主体形成にヨリ有効なpedagogy(教育的方法論)は、bankingよりもproblem-posingなのではないか
(フレイレの本の題名はPedagogy of the oppressed です)、と考えるわけなのです。
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
▲ このページのトップへ

     

 
   No.41 (2002/05/25 14:57)  「してあげられる」と、第1部で得たこと
   Name: B
 
  第T部についての意見交換に参加させていただきます。

まず、「してあげるシンドローム」について。H国で貧困層への家畜巡回診療を行っていた時の経験です。
所属団体は動物福祉団体ですので、動物福祉の目的から、市内数箇所の巡回対象地域の家畜に
欧米式の治療を無料で行う、「してあげる」診療でした。
ボランティアも含めた欧米人中心のメンバーは、動物に「してあげる」ことに疑問をもちませんが、
中に数人、家畜の飼育者である住人に「してあげる」ことの誤りを指摘する人間が出現しました。
また、巡回先の住人の中からも、無料の欧米式の治療を拒否し伝統的治療を自ら行うことを主張する
人間が出てまいりました。2つに共通していたのは自立を大切に思う気持ちだと感じました。
私自身はこの活動により帰納的に得たものがあったればこそ、今ここで学び始めているわけですが。
我々日本人は自らの自立をあまり意識しないで生きていける社会にあり、相手を自立したもしくは
すべき人間だと考えるのが苦手なのではないか、それを引き出すのが開発教育の目的の一つか、と
思うのですが。

次に、第T部で私が最も強い印象を受けた章について。
4章「福祉と「社会開発」」でミッジレイ博士は北側福祉国家のたどるべき道について
野心的な意見を述べられています。
つまり、「アフリカやアジア」で経験が蓄積されてきた社会開発こそ北側福祉国家の再建に
有効な手段を与える、と。
政府による組織的枠組みや予算配分により、個々人の潜在的能力を高めるような投資を行い、
地域の経済発展に資することで社会福祉目標を達成することが出来るとされています。
私は開発教育とは各々の知識の容量を増やし、今の日本の教育、社会制度では
高められない能力を伸ばし、各人の周囲を変えていく為にあると考えており、
その先には社会開発そしてそれによる福祉国家の再建があったのかと
それこそ視野が広がった思いです。皆さんの意見もお聞かせいただければと思います。
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.43 (2002/05/26 11:39)  
   Name: N
 
  No.30のOさんの
「貧富の差を無くすことは難しい、ということを教えるゲームも作られるべきではないでしょうか?」
という質問に関して、ハンガーバンケットに似たゲームに参加したことがあり、紹介したいと思います。
もう、7年も前のことになってしまいますので、記憶がさだかでないところもありますが。

参加者は大学生100人程度、6名ほどのグループに分けられました。
そして、紙(A4)、はさみ、定規、コンパスなどが各グループに配られました。
目的は、丸、四角、三角といった「形」を生産し、ポイントを得ること。
生産した「形」が規格に合っているかどうか、判断する先生がいて、規格に合っていれば、
生産したグループにポイントが加算されます。

面白い点は各グループに、紙やはさみが均一に配られないこと。
紙だけが10枚もあるグループ、紙は1枚のみで、はさみと定規とコンパスもあるグループ、と
様々な条件のグループがありました。
ただし、紙やはさみなどの道具の交換は自由に行えます。制限時間内に多くの「形」を生産し、
多くのポイントを得たグループが「勝ち」というものだったと記憶しています。

私は、紙だけが10枚ほどのグループにいました。
初めは、道具がないので、なすすべものなく様子を見ていましたが、紙と交換に定規を
手に入れることに成功し紙を切るための線を引くことができました。
しかし、はさみがないと紙を切れません。
そこで、今度は紙を他のグループに提供し、10分ほどの時間を決められて、
はさみを借りることになりました。いくつかの形をつくることに成功しましたが、
はさみを返す時間になると、もう生産はストップしてしまいました。
結果的に、私たちのグループは「最下位」だったと思います。
「1位」となったのは、紙もいくらかあり、道具もあったグループだったと思います。

当時は、面白いゲームだなぐらいにしか思っていませんでした。
「最下位」だったことは、面白くありませんでしたが。
しかし、今、思い返すと「してあげる」という意識は私たちの中には無かったように思います。
それぞれのグループが、多くのポイントを得ようとしており、他のグループを助けるという意識は
なかったように思うのですが、これは自分が紙しか持っていないグループにいたからでしょうか。



[Re.1] P (2002/05/26 17:27)>
神奈川県国際交流協会が紹介した、貿易ゲームというゲームですね。
もとはイギリスのクリスチャンエイドがつくったものです。
もう十年以上前のものなので、現実を反映させようと開発協議会という組織を中心に改訂作業が行われ、
債務とか援助とか、いくつかのバージョンの入った改訂版「新貿易ゲーム」が昨年出され、
神奈川県国際交流協会で手に入ります(旧版は絶版です)。
ただ、シンプルで分かりやすいという点では、最初の版にもいまでも価値があると思います。


[Re.2] C (2002/05/26 23:02)>
この最後の「してあげる」という意識がなかったのは、紙しか持っていないグループにいたからって
言う発言は興味深いです。


[Re.3] O (2002/05/27 10:13)>
そうですね。資源があってもそれを有効に使えない途上国を象徴しているみたいですね。


[Re.4] P (2002/05/28 00:55)>
この貿易ゲームは、企業研修にも使われています。
ウィルシードという会社で、設立者は開発教育にもともと興味を持っている若い人のようです。
http://www.willseed.co.jp/
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.46 (2002/05/27 21:13)  開発教育にゲームなどを利用することについて
   Name: 雨森孝悦
 
  開発教育ではゲームやロールプレイなどの参加(擬似)体験型学習の技法がよく使われます。
1990年代以後は人権教育で「流行」といってもよいほどになりました。
たしかに、それらはわかりやすく、学習者にも概して好評ですが、
実世界をパタン化してしまうだけに、ゲームやシミュレーションだけで満足してしまうと、
Yさんの指摘するように危険性があります。

ラテンアメリカなどで「意識化」の手段として使われたロールプレイは、
学習者の痛切な生活体験がベースにあったので、体験したことの本質を理解し、
自己表現をするうえでロールプレイが役立ったのだと思います。
実体験のないところで、ロールプレイだけに頼るのは、上滑りになるのでは、という気がします。
 
開発教育  No.2No.29No.30No.38 No.41
 ↓       .
No.43 No.46
▲ このページのトップへ

     

 
   No.100 (2002/06/20 03:11)  テキスト第17章
   Name: Q
 
  No.99までの議論とは離れてしまいますが、
テキストp.141からの「人間開発指数」について、私はまだ手に取ったことがなかったので
『UNDP人間開発報告書』巻末表を見てみました。実物がお手元にないと分かりにくいかもしれませんが、
表を理解するために少し整理してみましたので提示させてください。
表の見方、数値の整理の仕方が間違っていたら、教えてくださると助かります。

2001年の人間開発指数(HDI)表には、全部で162カ国が指数の高い順に並べられており、
それらが上位から「人間開発高位国」「同中位国」「同低位国」に3分されています。
国数の内訳は順に,48,78,36です。
中・低位国に入っているアジアの国を参考までにいくつか書きますと(カッコ内は順位)、
中位国はMalaysia(56),Thailand(66),Philippines(70),Sri Lanka(81),Viet Nam(101),
Indonesia(102),India(115),Myanmar(118),Cambodia(121)。
低位国はNepal(129), Bangladesh(132)となっています。日本は高位国、9位です。

この表の右端に、「1人あたりGDP順位マイナスHDI順位」という項目があります。
GDP順位からHDI順位を引いた数値を示したもので、絶対値が大きいほど、
その国のHDIとGDPの順位の差が甚だしい、ということになります。
さきほどの国々の、この項目の数値は、中位国ではMalaysia(-4),Thailand(-3),Philippines(21),
Sri Lanka(19),Vietnam(19),Indonesia(3),India(0),Myanmar(22),Cambodia(13)。
低位国ではNepal(7), Bangladesh(-4)。そしてJapan(2)です。
数値の正負は,その国のHDI順位がGDP順位よりも上か下かを意味していて、
マレーシアのHDI順位はGDP順位と比べると4位下がり、ミャンマーは22位も上がります。

高・中・低位の各国群で、この項目の数値が正になった国(つまりHDI順位がGDP順位より上)と
負になった国(HDI順位<GDP順位)の割合がどうなっているか、それぞれ調べてみたところ:
高位国群 正 30カ国(30/48*100=62.5%) 負 18カ国 (18/48*100=37.5%)
中位国群 正 51カ国(51/78*100=65.3%) 負 27カ国 (27/78*100=34.6%)
低位国群 正 16カ国(16/36*100=44.4%) 負 20カ国 (20/36*100=55.5%)
(* 数値0はとりあえず正に含めています)
ということで、高位国群と中位国群については、正負の割合が同じような結果になりました。

次に、この項目の絶対値の分布状況が高・中・低位国群の3分類によって特徴があるような気がしたので、
数値を10ずつ区切って、それぞれの数値幅に該当する国の数と、その割合を計算してみました。
ここへ表を載せると恐ろしく見づらくなりそうなのでやめますが、
横軸に数値幅、縦軸に%をとって、3群の%値をそれぞれプロットしてグラフにすると、
正数値の大きさの程度において、高位国群と中位、低位国群では様相が少し違うように見えます。
すなわち、高位国群では27カ国(この群の56.3%)が順位差1〜10の間の小差に収まっていますが、
中位国群では順位差1〜10であったのが20カ国(25.6%)、順位差11〜20であったのが16カ国(20.5%)、
21〜30が7カ国(9.0%)と、大きな差でHDI順位が上がっている国が高位国群より多い。
低位国群も,中位に比べ%値が下がりますが、どちらかというと中位国群に近いパターンを
示しているのではないかと思います。

HDIは「余命指数」「教育指数」「所得指数」の平均値であり、この数値はその国の人々が
基礎的潜在能力を有しているか、すなわち本来は平等にもち合わせるはずの達成可能な基礎的
選択肢を実質的にもっているか、ということの現状を示すものだ、という理解でよければ、
この順位とGDP順位との関係において、人間開発高位国群でHDI順位がGDPのランクよりも
下がっている国が4割近く含まれているということは、テキストに例示されていたニューヨークの
黒人貧困地区に住むアメリカ人とバングラデシュ農村の小作人のように、
実は基礎的潜在能力の発露において歪みが生じている可能性が高いことの現れだと言えるかもしれません。
また、特に人間開発中位国に位置づけられている国々でGDP順位との差が大きいところを見ることができて、
外側からかかわる者として「貧困」の意味を慎重に考えなければな、と思いました。

実際には、どうなのでしょう?
例えば上記の中位国群で、GDP順位よりもHDI順位を大幅に上げている国での
長期滞在の経験をおもちの方で、そこに住む人々が基礎的なものもそうでないものも含めて、
各自の機能からなる選択肢を自由に実現している、と実感されることはありますか?

それと、センによる「貧困」の定義と、それをもとにした人間開発指標がGDP値からは
見ることのできない面を示してくれるものだ、ということは分かったのですが、
一方で「貧困」と「豊かさ」がどのように結ばれているのだろうか、というところがよく分かりませんでした。
具体的には、p.140の第3段落の前後のつながりが今のところよく飲み込めていません。
p.140, 1行目「多くの選択肢の中から、彼/彼女がこの達成度で表されるレベルを主体的に
選んで達成したのだというその自由、(中略)つまり潜在的な可能性こそが重要」ということですが、
この状態を「豊かさ」とすると、第3節にあるように「貧困脱出」からすでに「豊かさ」のプロセスは
始まっている、ということでしょうか。
そうだとすれば、その指標は、プロセスを扱うことになるのですね。

ちょっと議論が後退してしまっているかも、と反省しつつ。
 
人間開発  No.100No.101No.107
 ↓                 .
No.111               .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.101 (2002/06/20 23:23)  ファシリテーターです
   Name: Z
 
  Qさん、No.100で人間開発指数に関する詳細な考察をありがとうございました。

「例えば上記の中位国群で、GDP順位よりもHDI順位を大幅に上げている国での長期滞在の
経験をおもちの方で、そこに住む人々が基礎的なものもそうでないものも含めて、
各自の機能からなる選択肢を自由に実現している、と実感されることはありますか?」

U国はHDI中位国であり、このご質問にあてはまることと思います。
U国に滞在したことのある私の実感では、「えっ、ほんと?」というのが正直なところです。
ここで、HDIの計算のもととなる「余命指数」「教育指数」「所得指数」の求め方について
注意が必要だろうと思います。
U国の統計は住民票を持っている国民だけを対象に作成されています。
ですから、巷のものの本には教育水準が高くて文盲率が非常に低いとさかんにうたわれています。
が、これには地方から大都市のスラムに流れてきた人たちは入っていません。
また親に住民票がなければ子供は小学校にも行けません。
という風に考えると、これは住民票のある人たちだけは各自の機能からなる
選択肢を自由に実現している、と言い換えなければなりません。

ところで皆さん、ほかの国々ではいかがでしょうか。
その他、No.100 Qさんの発言に対するご意見をお待ちしております。
 
人間開発  No.100No.101No.107
 ↓                 .
No.111               .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.107 (2002/06/23 10:59)  No.101について
   Name: Q
 
  Zさん、No.101で私の質問を拾ってくださってありがとうございました。
「U国の統計は住民票を持っている国民だけを対象に作成されて」いる、というご返信は、
U国について書物とデータしか参考資料のない者としては大変貴重な言葉でした。
ローデータから考察のためのデータにひきあげるときに、解釈にとって不要と思われる部分は
削られていってしまうものですが、ときには不要どころかそれこそが大事であるような要素を、
意識のあるなしに関わらず捨ててしまうことの危険性については、
心理を勉強していた頃にも痛感していました。
でも、いくら気をつけようと思っても、きれいなデータになっているほど未だに油断してしまいます。
中村尚司先生の講義でテキストに指定されている「地域自立の経済学」にも、
序章p.7で、「活字で印刷されていることなら、たいてい一から十まで正しいと信じ込んでしまう。
そんな悪い癖から抜け出せない。」と書かれています。
中村先生でさえ注意を怠らないよう気を付けておられるくらいですから、
これは相当注意しなくてはいけませんね。
 
人間開発  No.100No.101No.107
 ↓                 .
No.111               .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.111 (2002/06/23 19:19)  No.100への発言です
   Name: B
 
  No.100 Qさんの各国HDI及びGDPに対する分析を興味深く拝見しました。
私が一昨年まで2年半滞在したH国はHDIで115位、1人あたりGDP順位マイナスHDI順位が0で、
人間開発から見ても経済状態からみても中位国に入るようです。
国としてみればU国同様、中位国ですが、H国のように貧富の差の激しい国で平均値で
議論することは危険だというのがこのデータを見ての私の実感です。
所得も基礎的潜在能力も、国として平均化すると見えなくなるものがたくさんありそうです。
ただ、No.101 Zさんが書かれていたU国と比べると、データ取得のための母集団に偏りがない国である
とは言えそうです。10年ごとにセンサスを実施していますから。
 
人間開発  No.100No.101No.107
 ↓                 .
No.111               .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.141 (2002/07/04 02:51)  民際協力の<行商人>
   Name: Q
 
  テキスト第28章「民際協力の行商人」

「他の地域と交流しながら住民が変わり、介在する外部者も変わる、そういう互いに学びあう<場>を
作ることこそを重視する「プロセス」アプローチの思想」のあたりを読んで、心理学を勉強していた頃に
少しだけ調べた「盲僧の語り」を思い出しました。
盲僧とは、村々を廻って読経をするなど宗教的活動に特異な才能を発揮して職業としていた人たちです。
盲僧は建前上は宗教活動に重点を置いていましたが、村々を廻って法要をする際に、宿泊先などで請われれば、
唄を歌ったり昔話や軍記物を語ったりなどの芸能者としても機能していたそうです。
彼らは徳川幕府の機構である当道座との争論に敗れ、その後一切の芸能活動を禁止されるのですが、
実際には訪れる村々での軍記物や昔話の語りは需要が高く、ひっそりと続けられました。
彼らの語りの練習は、文字化されたテキストがない分、師匠や他人の語る様子を聞いて
せりふやストーリーを覚えるのが基本で、その後に独自の節回しや表現の選択を重ねていくそうです。
面白いなと思ったのは、その独自性を打ち出すときに第一に参考にするのが、聞き手の反応だということです。
ここからは想像になりますが、読経や祈とうなど宗教的活動を建前としていた彼らは定期的に同じ村を
訪れる必要があり、また移動手段が徒歩ということもあって、数年かけて一巡するようなペースで
いくつかの村々を定期的に巡回します。その間に得た複数の村の聞き手からの様々な反応をもとに修正が重ねられ、
各自の独特な「語り」が作られていくのです。
また、村の聞き手にとっては、何年かに一度やってくる盲僧の「語り」の変化から新しい芸能の流れを読みとり、
村の外からの情報を吸収する手だてとしていたのではないかと思います。
そうだとすると、このころの芸能は今のようなメディアの商業的操作で意図的に作り上げられるものとは
対照的な、聞き手と語り手の相互作用によって出来上がる性質のものだったのではないかと思います。
後者の方が断然面白そうです。
横道に逸れましたが、盲僧という外部の世界を少し知っているヨソモノの立場、
そして彼らの介在によって村の外部の情報を吸収していく村の人々の立場、双方が互いの反応を
取り入れつつ学び、変化していく状況を想像すると、現代の私(達)の関心への参考になりそうだ、と思いました。
 
ヨソモノの役割  No.141No.176No.179
 ↓                 .
No.163期末レポート     .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.158 (2002/07/10 06:14)  児童労働と「売春」
   Name: T
 
  Lさんのコメントに、コメントをさせてください。
「『売春』には『買い手』がいます。そこに両者のそれぞれの性産業があるのでしょう。
各国の状況は知りません。でも日本国内でも、それらの方々を国内で受け入れる組織・その場所、
或いは日本の男性をそこに繋がる国外の地域に送り出している旅行業者などがあるのでしょうね。」

「売春」という言葉を使用すると、「売る側」だけがクローズアップされてしまい、
「買う側」の部分があいまいなまま使われるので、なるべく「買売春」という言葉を使用したいと思っています。
買売春問題は主に「売り手」である女性をめぐる問題点が議論されがちですが、
「買い手」の問題が常にありますよね。

以前、NGOワーカーから研究者になってドイツに在住している女性が、
「なぜタイに買春にくる男性は、圧倒的に日本人とドイツ人が多いのだろうか。
共に敗戦国のなった日本とドイツは、戦後の国や社会の開発・発展過程で何か共通点はあるように思える。
経済発展優先の開発・発展は、人間性を疎外し、弱い者、自分が少しでも優位に立ち、
相手を従属的な立場におくことを期待して、タイやフィリピンなど東南アジア出身の女性と結婚したり、
買春したりするのではないだろうか」と発言していたことがあり、
おもしろいテーマだと感じ入ったことがあります。
既に研究者として活躍していた彼女は、共同研究を私に持ちかけましたが、
私は研究者としての立場にはなかったので共同作業に入ることができず残念でした。

また、Lさんが指摘されているように、「売り手」と「買い手」だけでなく「中間組織」である、旅行業者、
就労斡旋業者などの存在も見逃せません。
この「中間組織」こそが、買売春ビジネスでもっとも利益を上げている部分です。
ベトナム人研究者のタン・ダム・トゥルンは
著書“Sex, Money and Morality: Prostitution and Tourism in Southeast Asia”(Thanh-Dam Truong,1990)
(邦題『売春−性労働の社会構造と国際経済』明石書店、1993)で、航空業界を含めた旅行業界、
またベトナム戦争による米軍のR&R政策(Rest & Recreation)など国際政治、経済がタイでの性産業の
発達に与えた影響をていねいに分析しています。
性産業は、「売り手」や「買い手」の意識や倫理を超えたところで、
一大ビジネスとして機能していることがよくわかります。

Lさん「それらを「中間組織」、そして「買い手」の意識・その倫理性などをテーマにしたら、
この修士課程の議論には品が悪すぎますかー。」

買売春に関すること、性に関する話題(「買い手」の意識など)を議論することは、
品が悪いことではないと思います。ぜひ議論しましょう。

正直言うと、大学院の講義や議論が始まってから、議論されている内容などが
自分の関心テーマとどこか焦点がかみ合わず、居心地の悪い思いを感じたことがありました。
この大学院の名称である「国際社会開発」の中の「開発」は、地域開発や教育、医療などの
社会開発などが主流なのかな、と。

けれど、「開発」を「人間がより良い状態で生活できるようにする変化」、
また「好ましい変化」(ロバート・チェンバース『参加型開発と国際協力』)と捉えるならば、
「開発」を国際協力機関が国際協力事業を実施している専門分野名称に引きずられて
解釈する必要はないかな、と思い始めています。

このように考えられるようになったのも、やはり大学院でいろいろな方の意見を聞き(拝見し、かな?)、
ときどきさせていただく発言に何らかのリスポンスがあることで、
自身の経験を整理、客観化する訓練ができるようになってきたからでしょう。
大学院に入ってよかったな、と実感する今日この頃です。
 
児童労働と買春  No.158No.162No.163
▲ このページのトップへ

     

 
   No.160 (2002/07/10 13:30)  ガンジーの思想について
   Name: O
 
  まったく前後との脈絡がありませんが、ガンジーの思想について少し調べました。
テキストp.17の「ガンジーと糸車」に興味を持ち、
「ガンジー 自立の思想」(ガンジー著 田畑健編 片山佳代子訳、地湧社)を読みました。
本書を読んで、インドの国旗にも描かれているチャルカ(糸紡ぎ車)とカディ(手織り綿布)の
運動について、もう少し知ることができました。

産業革命の進んだイギリスでは、不足している綿の入手先と、
大量にできてしまう繊維製品のための供給先を海外に求め、それがアメリカ南部の奴隷や、
インドの地場繊維産業の崩壊という悲劇を生みました。
それに対してガンジーのチャルカとカディ運動では、自分の必要以上には綿糸を生産しないチャルカと、
それによって織られるカディを身に付けることで、イギリスの繊維製品を利用しないようにする、と
いうものでした。それは、チャルカとカディを例えにした、イギリスの押し付ける近代文明に対する抵抗でした。

近代文明は、自分の必要以上の物を生み出し、余剰生産物の処分先を探します。
そこには、今まで同じようなものを作っていた地元の人や、同じような考えをもつ他国のものがいて
競争が起こります。競争により、文明はより進歩していくが、副産物として、
より多くの憎しみや苦しみをも生み出します。
近代文明は、少数の人を怠け者にし、多数の人をより働かなければならないようにします。
ガンジーの求めたものは、すべての人が、必要な分だけ生産して生きていけば貧富の差がなくなるだろう、と
いうことだと私は考えます。国旗に描かれているくらいだから、ガンジーのチャルカ運動は成功したのか?
と思いがちですが、その運動は困難を極めたとのことです。
チャルカはほとんど存在しておらず、技術も失われつつありました。
また、多くの人がガンジーの考えには賛同してくれませんでした。

ガンジーの思想は今の世の中では成り立たない、という人がいるかもしれません。
確かに今日から変えるというのは困難なことでしょう。
しかし、豊かさを追求するあまり、貧富の差を拡大し、地球環境を破壊している現在、少しづつ近づけるよう
努力していく必要があるのではないか、と感じました。
 
ガンディーの思想  No.160No.163
▲ このページのトップへ

     

 
   No.162 (2002/07/11 22:47)  売買春について
   Name: C
 
  Tさん「なるべく「買売春」という言葉を使用したいと思っています。」

私は「買春」を使用しているのですが、Tさんは「売買春」という言葉を使用されていたので
ちょっと気になっていたのです。これはやはり売る側にも問題意識を向けていらっしゃるのでしょうか?
(問題意識というか買い手ばかりに目を向けないで売り手の状況も考えるということで)
日本語の買春はわかりやすくていいと思います。(買い手に問題あり、ということで)
でも英語ではこの買春or売買春にあたる言葉がないのが残念です。
言葉の意識は大切ではないかと思うのです。買われている側の女性(児童含む)に
問題があるということで彼/彼女らの国では差別にあっています。
でも買春に関しては「買い手」がいるから「売り手」ができるのだと思います。
売春宿があるのもそれがお金になるからという単純な理由なのでは?
(お勧めの売春の本を読んでみたいと思います)

Tさん「共に敗戦国のなった日本とドイツは、戦後の国や社会の開発・発展過程で
何か共通点はあるように思える。経済発展優先の開発・発展は、人間性を疎外し、弱い者、
自分が少しでも優位に立ち、相手を従属的な立場におくことを期待して、」

確かエクパットの資料で、買春国1位ドイツ、2位日本だったと思います。
そのときは気づかなかったのですが、確かにそうですね。
これはすごく興味深いです。で、この共同研究の結果はどうだったのですか?
まだ研究中ですか?アメリカでは娘をレイプするという事件が多いと聞きましたが、
日本人も自分の娘と同じくらいの子供を買っていては同じことだと思いました。

でも単純に思ってしまいます、「なぜ児童を買いにいくのか」と。
(Tさんのおっしゃる売買春は大人の女性も含まれているように思うのですが
私は児童労働に興味があるので児童に目がいってしまいます。)
よく言われているエイズの心配がないとかそういう単純なものなのですか?
このあたりも売春の本を読めば理解できるのでしょうか?先進国の男性が途上国へ買春に行く。
児童労働も先進国が安いものを欲しがるので途上国で賃金の安い子どもを雇う。
このあたりの構図は似ているように思います。
途上国内だけの問題にとどまらず、先進国内でも問題意識を持たないと解決へは向かわない。

Tさん「けれど、「開発」を「人間がより良い状態で生活できるようにする変化」、
また「好ましい変化」と捉えるならば、「開発」を国際協力機関が国際協力事業を実施している
専門分野名称に引きずられて解釈する必要はないかな、と思い始めています。」

これは私も同じでした。私が今後児童労働問題に取り組むにあたって
私は「開発ワーカー」にあたるのだろうか?と思いました。
でも「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことをある意味「開発」と
捉えることにしました。(勝手な解釈ですけど)
 
児童労働と買春  No.158No.162No.163
▲ このページのトップへ

     

 
   No.163 (2002/07/12 11:06)  どうぞ続けて下さい
   Name: 穂坂光彦
 
  今週はみなさん同士で意見交換していただきたく思いますが、何点かコメントします。


No.141 Qさんへ:
来年のテキストから「行商人」をやめて「盲僧」にしようか、と思いました。
既定の「プロジェクト」を念頭に置いて地域にやってくる援助専門家ではなく、
言葉の端々から問わず語りに情報を伝えて結果的に相手の主体性を引き出す<行商人>を、
ひとつの<開発ワーカー>のモデルと考えていたわけです。
でも、聞き手の反応によって語りの内容そのものが変わって、それがまた他の土地に伝えられていく、と
いうメタファーの方が、より正確に「プロセスアプローチ」の本質を突いていると思います。
そのようにして人々の中に紡ぎ出されていくものが<開発>であると、私は考えています。
それがこの開発基礎論IIIの私のいわば結論のひとつです。
もちろん、みなさんそれぞれの結論があってよいのですが。

No.160 Oさんへ:
テキストでこのガンディーの話を書いているとき、ちょうど私は大学所在地の町にある中学で
総合学習の講師を頼まれていました。
その中学三年生は、世界の国旗のデザインと国の歴史とを調べてきて、
その最後に私を招いて下さったのです。
私は「開発教育」の素材として、このガンディーの話を使おうと思いました。
最初に大きなインドの国旗を拡げ、その三色の意味と、中心の図柄について質問しました。
それから、非暴力闘争からガンディー暗殺までのビデオを見せました。
そしてガンディーがチャルカに込めていた反「近代主義」的な社会像とはどういうものだったろうか、の
講義をしました。Oさんが指摘されたような現代的意味を、中学生も感じ取ったように思います。
開発基礎論IIIは一応「開発教育」のクラスですので、ご参考までに記しました。

No.162 Cさんへ:
Cさん「でも「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことをある意味「開発」と
捉えることにしました。(勝手な解釈ですけど)」。
「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことは、私は、対人援助とか海外援助とか
言われる場合の「援助」の範疇にあると考えています。
「子供達<が>その置かれている状況をいい方向に持っていく」こと、あるいは子ども達が
そうできるための環境条件をつくりだすこと、が、開発教育とか社会開発とか言う場合の「開発」に
あたるでしょう。(勝手な解釈ですけど)。
 
ヨソモノの役割  No.141No.176No.179
 ↓                 .
No.163期末レポート     .
 
児童労働と買春  No.158No.162No.163
ガンディーの思想  No.160No.163
▲ このページのトップへ

     

 
   No.164 (2002/07/12 12:11)  穂坂先生へ
   Name: R
 
  テキストを全部読み終えました。読みやすく編集してあったので何とか少しは理解できたように思います。
少しだけ私が付け加えたい箇所がありましたので、お伝えします。

こんな事も考えられるでしょうか?
第10章「人口の増加と移動」にあるインドのケララ州に於いての男女比の解説です。
この統計は、1991年のものですから昔の事は解らないので何とも言えないのですが、
ケララの男女比は、もしかすると、2つの点が他の州と違っているかもしれないと思ったのです。

1つは、ケララ州にいるナヤーカーストですが、このカーストは母系家族です。
クシャトリアなので、父系家族にすると家が破滅するかもしれないと昔の人は考えたのでしょうか?
それで、昔から女性が圧倒的に権限を持っていて、男性は名前は変りませんが婿養子のような感じです。
現在でも娘がいる家では必ず親は娘と暮らして男性が娘の家にきます。
もちろん、息子しかいない家では女性がお嫁さんとしてきますが。

2つ目は、クリスチャンが多いのでヒンズー教徒のように死んだ時、
棺を抱える息子に執着しなくて済むので女の子でも男の子でもいいのだと思っているのかな?と。

主人がナヤーカーストなので読んでいてこんな事を感じたのです。いかが思われますでしょうか?
 
ジェンダー分析  No.164No.167
▲ このページのトップへ

     

 
   No.167 (2002/07/12 23:52)  No.164 のRさんへ
   Name: 穂坂光彦
 
  ケーララ州の女性の社会的地位が相対的に高いこと、
さらに一般的に、(経済指標に比して)社会指標がインド諸州のなかで抜群に高い値を示すこと、に
ついて、つまりいわゆる開発の「ケーララモデル」について、その背景を探る論文は、たくさんあります。
ご指摘のように、指導的カーストが母系制の伝統を持つために州全体に影響が及び女性の地位が高い、と
いう点も、実はよく指摘されています。
そのことは、ここで比較されている北西部の経済的先進州が父系制が強く、
つまり嫁いだ女性は婚家の財産と見なされる、という社会であって、
そこでの女性のありようが男女比に影響している、という議論と対照しながら指摘されるわけです。

クリスチャンは、宗教的文化として、男子偏重が少ない、という点はどうなのでしょうね。
「棺の担い手」という話は初めてお聞きしました。
ふつう男子偏重は、家父長社会での労働力としての経済的役割から説明されると思いますが、
そういう文化的側面も(もし真実とすれば)重要かもしれませんね。
一般的には、ケーララでのクリスチャンの役割は、植民地下でのミッショナリによる医療や教育の推進と
いう点に焦点が当てられることが多いようです。

しかしこれら文化的歴史的要因は、ケーララの社会発展の基礎をつくったでしょうが、
女性や被差別カーストの地位が向上したのは独立後のことです。それに貢献したのは、
被差別民の解放運動や、共産党政権による民主的施策であった、という指摘がよくなされます。
男女比のバランスは伝統的要因だけで説明できるものではないようです。
だからこそ「開発」との関連で、ここでは議論しているわけなのです。


[Re.1] R (2002/07/13 20:02)>
先生ありがとうございました。
ヒンズーの人が死ぬと、焼き場に持っていくとき、息子ではないといけないと言う決まりが在ると聞いています。
息子が居ない場合は甥の仕事になります。皆がそうかどうか不確かですが、これは主人から聞いた話です。
 
ジェンダー分析  No.164No.167
▲ このページのトップへ

     

 
   No.176 (2002/07/21 14:12)  テキスト7部へのコメント 沖縄の保健医療改善から
   Name: B
 
  こんにちは。書き込みが出来ない日が続き半分あきらめておりましたが、
自由に書いてよいとの穂坂先生のコメントがありましたので、第7部についてコメントします。
その前に、Tさんが書いていらした調査者としてのアグネスの姿勢に強い印象を持ちました。
売買春に携わる少女たちと話をしたとき、結局彼らの作った手工芸品をほめることしか
出来なかったのを思い出しました。どうしていいかわからなかったのです。

よそ者効果:
第25章「参加する研究者」p216で「開発ワーカー」の「よそもの」としての役割に
ついて述べられていますが、最近調査が進められている戦後の沖縄での保健医療開発における
よそもの効果について書きたいと思います。
沖縄は戦後GHQ、高等弁務官監督下の琉球政府による統治のなかで、
保健衛生、医療状況の改善を行い、一定の効果をおさめました。
その中で「開発ワーカー」的な役割を果たしたのが、アメリカ政府から派遣されていたワニタワースという
看護教育の専門家でした。
彼女は「公衆衛生看護婦駐在制度」という途上国でいうVillage Health Wakerを生みだし、
人材を発掘し、教育し、制度の維持や公衆衛生看護婦の身分保障のために上に働きかけ続けたといいます。
「公衆衛生看護婦」第一期生であった金城さんや中里さんは、ワニタワースから講義の最初に
「ある地域の衛生状態が悪いのはそこの公衆衛生看護婦のせいです」と叱咤され、
「住民への奉仕」と「仕事への誇り」を身に付けたとおっしゃっていらっしゃいました。
この他、医者の免許を持たない医療者「医介補」を離島医療の従事者とするなど、
既存の制度に縛られていては実現できない改革があって、地上戦から本土復帰までの
大きな保健衛生上の改善があったそうです。ここではワニタワースたちが、
地域のニーズを住民及び行政に気づかせるファシリテーターとして、
またニーズにあった制度を、既存の制度の中で作り出していくアドバイザーとして、
さらには人を集めるための人寄せパンダとしての力持っていたと思われます。
そこには「共に学ぶ」姿勢があったからこその成功であり、
穂坂先生の往復書簡にあった「4つの課題」(テキストp.221)に通じるものかと思いました。

よそ者として民際協力の行商人:
テキストの<行商人>、Qさん記載の<盲僧>、どちらも興味深く拝見しました。
昨日帰ってきたので沖縄ばかりで恐縮ですが、沖縄の経験をきちんと形にして伝えることできれば
その活動の主体となったヒトと交流することもひとつのネットワーキングかなと思います。
沖縄だけでなく日本の戦後の開発を掘り起こして記録しておくことも<行商人>の仕事かもしれません。
さらにいえば、ゴミの問題、汚水雑水処理の問題など、日本も途上国も実は同じくらいの
大きさで抱えている問題を、交流しながらお互いに学びあう必要が我々日本人にこそあるのかも知れませんね。
ヘリポートはあるけれどゴミ処理場を作る予算がとれない離島の現状に、
途上国へのアンバランスな援助と似たものを感じました。
 
ヨソモノの役割  No.141No.176No.179
 ↓                 .
No.163期末レポート     .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.179 (2002/07/23 12:35)  No.176
   Name: 穂坂光彦
 
  176のBさん こんにちは。
戦後沖縄での保健医療開発について、盲点を衝かれる感じで興味深く読みました。
ただ、こうした貴重な情報が、あなたが探索された資料によるのか、
沖縄での現地聞き取りの結果なのか、といった点を、もう少し分かりやすくして下さい。
もちろん、調査途上の場合、ソースを明らかにしにくかったり、明らかにすべきでない、という
可能性もあるでしょう。それを識別しながらも、できるだけ論拠を明らかにしてほしいと思います。

これは、この講義はもうすぐ終わりになりますが、今後他の科目で議論される際にも、
みなさん全員に留意していただきたいことです。
講義室での投稿は、情報交換以上に、ある種のtrainingですから、「何が真実か」ということとともに、
「どうしてそれを真実と主張できるのか」を、分析的に書くよう努力して下さい。

以上は、原則論です。
ときには、「こんなことを耳にしたけど」というお喋りがあっても、もちろんかまいません。
が、Bさんの投稿は、真実を伝えたい、という意欲にあふれていたので、むしろ表現方法に注文しました。
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
ヨソモノの役割  No.141No.176No.179
 ↓                 .
No.163期末レポート     .
▲ このページのトップへ

     

 
   No.183 (2002/08/15 17:30)  No.179 の穂坂先生へ
   Name: B
 
  176の穂坂先生へ こんにちは。
戦後沖縄の保健医療開発についての報告は、よそ者効果について述べた点は
7月中旬に沖縄にて調査研究のまとめ役をされている琉球大学医学部保健医学講座の小川寿美子さん、
琉球中央保健所長 比嘉政昭さん、沖縄県立看護大学教授で元公衆衛生看護婦の仲里幸子さん、
元医介輔の親盛長明さんのお話を元に書いております。
米軍統治下の琉球政府の公衆衛生活動については
JICA国際総合研修所発行の「沖縄の地域保健医療における開発経験と途上国への適用」に記載があります。
ODAとNGOの項で書いた「寄生虫予防会」、「沖縄療友会(結核から回復した元患者の会)」や
「子宮ガン集団検診」についての記述は比嘉先生から聞き取りし、私なりの意見でまとめたものです。
日本からの援助については比嘉先生の記憶からのコメントであり、数字的な確証を得たものではありません。
論拠不明確なまま記載し、申し訳ありませんでした。

なお、研究の詳細は下記HP「沖縄の保健人材確保の経験と国際協力の実用化に関する社会医学的研究」に
ありますので、ご参照ください。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~socmedok/
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
▲ このページのトップへ

     

 
   No.184 (2002/08/16 10:13)  No.183 のBさんへ
   Name: 穂坂光彦
 
  Clarificationをありがとうございました。
ひとつだけ、念のため。
私は「論拠不明確なまま記載するな」と言っているのではありません。
むしろ逆に、伝聞でも直感でも、そこから有益な洞察が得られたら、どんどんここに書いて、
他からのコメントを得てほしいのですが、
その際に、「現段階での」情報の信頼性がどの程度のものであるのか、も
自他ともに明瞭にしておくよう努めて下さい、ということです。
 
議論の進め方  No.1No.26No.39No.179 No.183No.184
▲ このページのトップへ

     

 
   期末レポート (2002/08/21 20:48)
   Name: T
 
  タイトル「内発的発展のカタリスト」(第28章「民際協力の行商人」に関連して)

「開発教育」テキストの「民際協力の行商人」に関連して、
掲示板でのQ氏の<盲僧>の提示は大変興味深いものであった。
<行商人><盲僧><放蕩息子>など、内発的発展における触媒の役割をここで考えてみたい。


1.内発的発展における<行商人>と<盲僧>の役割

「開発教育」テキストの「民際協力の行商人」章で、著者である穂坂先生はJ.ガルトゥングや
D.グーレの引用をしながら、内発的発展におけるヨソモノの役割という問題を提起している。
そのヨソモノは「地域の人々が自分たちの経験を振り返り、自発的に新しい開発方法を
考え出して生活条件の改善を始めるきっかけ」を提供する触媒(カタリスト)としての役割をもつ。
テキストでは、<行商人>が外からやってくるヨソモノもしくは触媒として情報や経験を水平的に媒介しつつ
相対化する役割を担うものとして、また自らの地域社会を飛び出して波風にもまれながら
外の世界を見聞して帰ってきた<放蕩息子>を内から発生する触媒(カタリスト)として
内発的イニシアチブを引き出すきっかけを果たすこともあると述べられている。

内発的発展における触媒の一例として、Q氏は<盲僧>というカタリストを提示した。
Q氏の説明によると、盲僧とは村々を廻って読経など宗教活動を行っていた人たちで、
建前上は宗教活動に重点を置いていたが、村々で法要の際、請われれば芸能者としても機能していた。
盲僧らの語りは文字化されたテキストがない分、師匠や他人の語りの様子を聞いてせりふやストーリーを
覚えるのが基本とし、その後節回しや表現方法を聞き手の反応を参考にしながら独自の表現を重ねる。
そしてQ氏はさらに、村の聞き手は何年かに一度やってくる盲僧の「語り」の変化から新しい芸能や
世の流れを読みとり、村の外からの情報を吸収する手だてとしていたのではないかと推論している。

ここで、<行商人>と<盲僧>の役割を表1で整理してみたい。
(略)表1で見るように、<行商人>と<盲僧>は地域を訪れる主目的が商売と宗教的活動との
違いがあるが、ともに外からの情報を伝える外部者としてとらえることができる。

しかし外からの情報伝達手段およびその内容が、<行商人>と<盲僧>では異なる。
前者は語りによる商売や社会経済的な事項、後者は芸能による歴史的、社会的、宗教的な事項と
推定される。訪問先地域の聞き手の反応によって変化する<盲僧>の宗教・芸能活動の方が
<行商人>の経済・世間話活動より、より地域の人々の歴史感覚を研ぎすまさせ、内的インパクトを
強める可能性は多いにあり得る。

だが<盲僧>の活動が、実際に地域社会発展のための住民の内的イニシアチブを導き得るか
どうかは、必ずしも自明ではない。なぜなら宗教や芸能は、内的イニシアチブを刺激することもあろうが、
同時に苦悩を慰撫する役割を果たし、現状改善ではなく現状維持を促進する場合も多いからである。
現状改革のための内的イニシアチブに発展するかどうかは、語り手の意識にもよるであろう。

また<盲僧>という職業が視覚障害をもち、かつ宗教活動の技能を身につけるという特質をもっているため、
一般的な職業であるとはいえない。メタファーとしても、内発的発展の触媒(カタリスト)となりうる主体は、
ある特質をもった特定の人に限定される職業よりも一般的に開かれている職業を想定したほうが、
民際協力を内発的発展の触媒へと導く可能性を高める。

さて、上記に述べた<行商人>も<盲僧>も内発的発展における外からの触媒である。
これに対し、私はかつて読んだ『秩父事件 自由民権起の農民蜂起』(井上幸治著、中公文庫、1968)を
思い出した。そこでは、中心人物は内から発生した触媒であったのだ。
次項では、内発的発展が農民蜂起という武装闘争に発展して制圧されてしまった秩父事件と、
内からの内発的発展が非暴力、不服従の小作争議として展開し大地主に勝利した
南畑小作争議(渋谷定輔著『農民哀史から六十年』岩波新書、1986)の比較を試みたい。


2.秩父事件と南畑小作争議における「内からのカタリスト」

まず簡単に秩父事件と南畑小作争議の概要を説明する。
秩父事件は1884年、明治17年11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、
貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起である。

もともと山間の秩父郡一帯は、山繭を中心とした養蚕製糸業の地場産業が盛んだったが
横浜開港により輸出向けの良質の絹により高価がつけられ、明治15年ごろからの
深刻な不況による増税によって多くの農家が高利の借金の返済不納におちいり、破産に瀕した。
1884年2月、秩父での自由党結成がきっかけとなり、
養蚕製糸で交流のあった周辺村落部の農民らも加わり、
新たに秩父困民党が結成され、武装闘争で解決の道を探ろうとしたものである。
なお武装闘争は政府軍によって鎮圧された。
一方、南畑小作争議は1923年(大正12年)に現在の埼玉県富士見市にあたる
南畑地区農民約200名が不在大地主である西川武十郎(西武)に小作料引き下げを要求するために
非暴力、不服従でストライキを起こし、大地主に要求を飲ませることに成功した。

次に秩父事件と南畑小作争議とにおいて、触媒(カタリスト)は誰であったかを見てみよう。
秩父事件においては、触媒は行商人ではなく、内から出た生産者兼仲買人だった。
しかし商売を通して外の地域の情報を伝達するという意味では<行商人>に近い職業人で
あったかもしれない。
当時、秩父地方では地域住民らの職業が技術や資本を要し、換金性の高い養蚕製糸業で
あったため、市場と生産地を行き来する仲買人的存在が必要だった。
当時の主な市場である東京や横浜が比較的遠隔地でなかったからか、
秩父地方出身の仲買人が市場と生産地を行き来した。
そして東京や横浜で見聞する自由民権運動やその思想に関心をもった秩父出身の生産者であり
仲買人であった数人がまず自由党に入党する。
こうして自由党の自由民権思想が秩父地方の農民にもたらされたのだが、
秩父地方農民は決して中央自由党の下部組織として運営されることはなかった。
その証拠に、中央(東京)から秩父にやってきた自由党勧誘者は
「あに図らんや、これらの徒みな自理を解せず、主義を持せず、主義を持せず、無気力、無志操、
ともに事を談ずるに足らんとは」と差別的見方をして早々に去るのである。

その後、住民たちは表立った集会を行わず、賭博をしながら村の衆が集まり情報交換と議論を重ね、
当時厳しくなりつつあった官憲の目を誤魔化した。博徒が天下国家を論じ、
緻密な作戦を練る構図は、地域住民独自の方法による参加型集会とも言えるだろう。
秩父地方の困窮した農民たちは自ら困民党を組織した。
しかし現状改善の矛先は粘り強く交渉を重ねる形ではなく政治改革を意図する武装闘争に
収斂していった。結果、政府軍に制圧されて秩父農民蜂起は終焉する。

一方、南畑小作争議では、農業に明るい将来を見出せずに文学や都会にあこがれて17歳で村を出、
親に説得されて出戻る<放蕩息子>的な一青年が触媒(カタリスト)の役割を果たした。
この青年が『農民哀史から六十年』の著者渋谷定輔である。
渋谷青年は出身農村に出戻った後、村の大人たちに呼びかけて、小作料引き下げ交渉に
ついての集まりを組織する。
渋谷青年は、他地域でも小作争議が多発し、成功している情報を入手していた。
また東京では『女工哀史』を執筆した細井和久蔵氏らとも交友関係をもち、疲弊する農村に
端を発する社会問題を見る視点を交友と独学で養っていた。

南畑小作争議は秩父事件と違って、武装闘争の形態をとらず、大地主の土地を耕作しない
というストライキを行った。
そして地元役人や警察などと交渉を重ね、結果的に味方につける方法をとり、非暴力・不服従作戦
と交渉型を組み合わせて、最終的に大地主を根負けさせた。
南畑小作争議が武装闘争に発展しなかったのは、リスクを伴う急激な変化を好まない
南畑地域住民の農民的気質が一因であった
(一方の秩父地域住民は、養蚕製糸という投機的な農業兼軽工業労働者的気質)。
さらに、南畑小作争議発生当時、南畑地区の北部を流れる荒川の河岸工事という日雇いの
現金収入の仕事があったため、闘争の持久力があったとも思われる。


3.民際交流が内発的発展を促す可能性

上記では、外からの<行商人>や<盲僧>、また内からの<仲買人>や<放蕩息子>などの
カタリストが、地域住民の内的イニシアチブを引き出し、
内発的発展の契機になりうる可能性を、歴史的事例から論じた。
では現代の内発的発展に対して、民際交流はカタリスト的役割を果たし得るのだろうか。

上で述べたカタリストたちが地域住民に伝えたものの共通項を見ると、
それは「情報」、「事例」、「思想」(仏教思想、自由民権思想など)と言える。
情報や事例、そして思想が体現化されたとき、人は内的イニシアチブを発揮し、
内発的発展に展開するのではないだろうか。「思想」というと何か堅苦しく、
教条的なにおいがついてまわるが、基本的には
“人が人として存在することを自他ともに認め、安全でよりよい生活を個人と地域社会が求めてもいい”
という基本的人権のメッセージである。
現代の民衆(地域住民)の国境を越えた交流が内発的発展の契機となりうるような
イニシアチブを導き出すために必要なのは、的確な情報、洞察を与える事例、
そして体現化した基本的人権という思想、の三要素ではないかというのが私の結論である。
 
ヨソモノの役割  No.141No.176No.179
 ↓                 .
No.163期末レポート     .
▲ このページのトップへ

     

  (C) Copyright 2003 Nihon Fukushi University. All rights reserved. 本ホームページからの転載を禁じます。