|
|
テキスト第28章「民際協力の行商人」
「他の地域と交流しながら住民が変わり、介在する外部者も変わる、そういう互いに学びあう<場>を
作ることこそを重視する「プロセス」アプローチの思想」のあたりを読んで、心理学を勉強していた頃に
少しだけ調べた「盲僧の語り」を思い出しました。
盲僧とは、村々を廻って読経をするなど宗教的活動に特異な才能を発揮して職業としていた人たちです。
盲僧は建前上は宗教活動に重点を置いていましたが、村々を廻って法要をする際に、宿泊先などで請われれば、
唄を歌ったり昔話や軍記物を語ったりなどの芸能者としても機能していたそうです。
彼らは徳川幕府の機構である当道座との争論に敗れ、その後一切の芸能活動を禁止されるのですが、
実際には訪れる村々での軍記物や昔話の語りは需要が高く、ひっそりと続けられました。
彼らの語りの練習は、文字化されたテキストがない分、師匠や他人の語る様子を聞いて
せりふやストーリーを覚えるのが基本で、その後に独自の節回しや表現の選択を重ねていくそうです。
面白いなと思ったのは、その独自性を打ち出すときに第一に参考にするのが、聞き手の反応だということです。
ここからは想像になりますが、読経や祈とうなど宗教的活動を建前としていた彼らは定期的に同じ村を
訪れる必要があり、また移動手段が徒歩ということもあって、数年かけて一巡するようなペースで
いくつかの村々を定期的に巡回します。その間に得た複数の村の聞き手からの様々な反応をもとに修正が重ねられ、
各自の独特な「語り」が作られていくのです。
また、村の聞き手にとっては、何年かに一度やってくる盲僧の「語り」の変化から新しい芸能の流れを読みとり、
村の外からの情報を吸収する手だてとしていたのではないかと思います。
そうだとすると、このころの芸能は今のようなメディアの商業的操作で意図的に作り上げられるものとは
対照的な、聞き手と語り手の相互作用によって出来上がる性質のものだったのではないかと思います。
後者の方が断然面白そうです。
横道に逸れましたが、盲僧という外部の世界を少し知っているヨソモノの立場、
そして彼らの介在によって村の外部の情報を吸収していく村の人々の立場、双方が互いの反応を
取り入れつつ学び、変化していく状況を想像すると、現代の私(達)の関心への参考になりそうだ、と思いました。
|
|
|
|