通信制大学院国際社会開発研究科修士課程 開発基礎論V

  開発基礎論V
 
 これは開発基礎論Vの授業の様子をお伝えするために、2002年度の同科目掲示板に投稿された
 約200の書き込みの一部を抜粋したものです。冗長さを防ぎ、また参加院生の個人情報保護の目的
 から、内容に修正・編集の手を加えてあります。(穂坂光彦)
 
   このページは以下にまとめてあります見出しごとに、ご覧ください。
 
 
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   No.158 (2002/07/10 06:14)  児童労働と「売春」
   Name: T
 
  Lさんのコメントに、コメントをさせてください。
「『売春』には『買い手』がいます。そこに両者のそれぞれの性産業があるのでしょう。
各国の状況は知りません。でも日本国内でも、それらの方々を国内で受け入れる組織・その場所、
或いは日本の男性をそこに繋がる国外の地域に送り出している旅行業者などがあるのでしょうね。」

「売春」という言葉を使用すると、「売る側」だけがクローズアップされてしまい、
「買う側」の部分があいまいなまま使われるので、なるべく「買売春」という言葉を使用したいと思っています。
買売春問題は主に「売り手」である女性をめぐる問題点が議論されがちですが、
「買い手」の問題が常にありますよね。

以前、NGOワーカーから研究者になってドイツに在住している女性が、
「なぜタイに買春にくる男性は、圧倒的に日本人とドイツ人が多いのだろうか。
共に敗戦国のなった日本とドイツは、戦後の国や社会の開発・発展過程で何か共通点はあるように思える。
経済発展優先の開発・発展は、人間性を疎外し、弱い者、自分が少しでも優位に立ち、
相手を従属的な立場におくことを期待して、タイやフィリピンなど東南アジア出身の女性と結婚したり、
買春したりするのではないだろうか」と発言していたことがあり、
おもしろいテーマだと感じ入ったことがあります。
既に研究者として活躍していた彼女は、共同研究を私に持ちかけましたが、
私は研究者としての立場にはなかったので共同作業に入ることができず残念でした。

また、Lさんが指摘されているように、「売り手」と「買い手」だけでなく「中間組織」である、旅行業者、
就労斡旋業者などの存在も見逃せません。
この「中間組織」こそが、買売春ビジネスでもっとも利益を上げている部分です。
ベトナム人研究者のタン・ダム・トゥルンは
著書“Sex, Money and Morality: Prostitution and Tourism in Southeast Asia”(Thanh-Dam Truong,1990)
(邦題『売春−性労働の社会構造と国際経済』明石書店、1993)で、航空業界を含めた旅行業界、
またベトナム戦争による米軍のR&R政策(Rest & Recreation)など国際政治、経済がタイでの性産業の
発達に与えた影響をていねいに分析しています。
性産業は、「売り手」や「買い手」の意識や倫理を超えたところで、
一大ビジネスとして機能していることがよくわかります。

Lさん「それらを「中間組織」、そして「買い手」の意識・その倫理性などをテーマにしたら、
この修士課程の議論には品が悪すぎますかー。」

買売春に関すること、性に関する話題(「買い手」の意識など)を議論することは、
品が悪いことではないと思います。ぜひ議論しましょう。

正直言うと、大学院の講義や議論が始まってから、議論されている内容などが
自分の関心テーマとどこか焦点がかみ合わず、居心地の悪い思いを感じたことがありました。
この大学院の名称である「国際社会開発」の中の「開発」は、地域開発や教育、医療などの
社会開発などが主流なのかな、と。

けれど、「開発」を「人間がより良い状態で生活できるようにする変化」、
また「好ましい変化」(ロバート・チェンバース『参加型開発と国際協力』)と捉えるならば、
「開発」を国際協力機関が国際協力事業を実施している専門分野名称に引きずられて
解釈する必要はないかな、と思い始めています。

このように考えられるようになったのも、やはり大学院でいろいろな方の意見を聞き(拝見し、かな?)、
ときどきさせていただく発言に何らかのリスポンスがあることで、
自身の経験を整理、客観化する訓練ができるようになってきたからでしょう。
大学院に入ってよかったな、と実感する今日この頃です。
 
児童労働と買春  No.158No.162No.163
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   No.162 (2002/07/11 22:47)  売買春について
   Name: C
 
  Tさん「なるべく「買売春」という言葉を使用したいと思っています。」

私は「買春」を使用しているのですが、Tさんは「売買春」という言葉を使用されていたので
ちょっと気になっていたのです。これはやはり売る側にも問題意識を向けていらっしゃるのでしょうか?
(問題意識というか買い手ばかりに目を向けないで売り手の状況も考えるということで)
日本語の買春はわかりやすくていいと思います。(買い手に問題あり、ということで)
でも英語ではこの買春or売買春にあたる言葉がないのが残念です。
言葉の意識は大切ではないかと思うのです。買われている側の女性(児童含む)に
問題があるということで彼/彼女らの国では差別にあっています。
でも買春に関しては「買い手」がいるから「売り手」ができるのだと思います。
売春宿があるのもそれがお金になるからという単純な理由なのでは?
(お勧めの売春の本を読んでみたいと思います)

Tさん「共に敗戦国のなった日本とドイツは、戦後の国や社会の開発・発展過程で
何か共通点はあるように思える。経済発展優先の開発・発展は、人間性を疎外し、弱い者、
自分が少しでも優位に立ち、相手を従属的な立場におくことを期待して、」

確かエクパットの資料で、買春国1位ドイツ、2位日本だったと思います。
そのときは気づかなかったのですが、確かにそうですね。
これはすごく興味深いです。で、この共同研究の結果はどうだったのですか?
まだ研究中ですか?アメリカでは娘をレイプするという事件が多いと聞きましたが、
日本人も自分の娘と同じくらいの子供を買っていては同じことだと思いました。

でも単純に思ってしまいます、「なぜ児童を買いにいくのか」と。
(Tさんのおっしゃる売買春は大人の女性も含まれているように思うのですが
私は児童労働に興味があるので児童に目がいってしまいます。)
よく言われているエイズの心配がないとかそういう単純なものなのですか?
このあたりも売春の本を読めば理解できるのでしょうか?先進国の男性が途上国へ買春に行く。
児童労働も先進国が安いものを欲しがるので途上国で賃金の安い子どもを雇う。
このあたりの構図は似ているように思います。
途上国内だけの問題にとどまらず、先進国内でも問題意識を持たないと解決へは向かわない。

Tさん「けれど、「開発」を「人間がより良い状態で生活できるようにする変化」、
また「好ましい変化」と捉えるならば、「開発」を国際協力機関が国際協力事業を実施している
専門分野名称に引きずられて解釈する必要はないかな、と思い始めています。」

これは私も同じでした。私が今後児童労働問題に取り組むにあたって
私は「開発ワーカー」にあたるのだろうか?と思いました。
でも「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことをある意味「開発」と
捉えることにしました。(勝手な解釈ですけど)
 
児童労働と買春  No.158No.162No.163
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   No.163 (2002/07/12 11:06)  どうぞ続けて下さい
   Name: 穂坂光彦
 
  今週はみなさん同士で意見交換していただきたく思いますが、何点かコメントします。


No.141 Qさんへ:
来年のテキストから「行商人」をやめて「盲僧」にしようか、と思いました。
既定の「プロジェクト」を念頭に置いて地域にやってくる援助専門家ではなく、
言葉の端々から問わず語りに情報を伝えて結果的に相手の主体性を引き出す<行商人>を、
ひとつの<開発ワーカー>のモデルと考えていたわけです。
でも、聞き手の反応によって語りの内容そのものが変わって、それがまた他の土地に伝えられていく、と
いうメタファーの方が、より正確に「プロセスアプローチ」の本質を突いていると思います。
そのようにして人々の中に紡ぎ出されていくものが<開発>であると、私は考えています。
それがこの開発基礎論IIIの私のいわば結論のひとつです。
もちろん、みなさんそれぞれの結論があってよいのですが。

No.160 Oさんへ:
テキストでこのガンディーの話を書いているとき、ちょうど私は大学所在地の町にある中学で
総合学習の講師を頼まれていました。
その中学三年生は、世界の国旗のデザインと国の歴史とを調べてきて、
その最後に私を招いて下さったのです。
私は「開発教育」の素材として、このガンディーの話を使おうと思いました。
最初に大きなインドの国旗を拡げ、その三色の意味と、中心の図柄について質問しました。
それから、非暴力闘争からガンディー暗殺までのビデオを見せました。
そしてガンディーがチャルカに込めていた反「近代主義」的な社会像とはどういうものだったろうか、の
講義をしました。長島さんが指摘されたような現代的意味を、中学生も感じ取ったように思います。
開発基礎論IIIは一応「開発教育」のクラスですので、ご参考までに記しました。

No.162 Cさんへ:
Cさん「でも「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことをある意味「開発」と
捉えることにしました。(勝手な解釈ですけど)」。
「子供達の置かれている状況をいい方向に持っていく」ことは、私は、対人援助とか海外援助とか
言われる場合の「援助」の範疇にあると考えています。
「子供達<が>その置かれている状況をいい方向に持っていく」こと、あるいは子ども達が
そうできるための環境条件をつくりだすこと、が、開発教育とか社会開発とか言う場合の「開発」に
あたるでしょう。(勝手な解釈ですけど)。
 
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